「囚われのChiral」
合わせた鏡の奥で そっと微笑んだ
幻のそぶりの残酷な顔
わたしとよく似た君に きっと仕組まれた
どうしても避けられないように
醜さの影を振り払うたび 突きつけられるの
まだここは囚われのChiral
ただ救われたいと願い、ただ赦されると信じた
誰が愚かだと責められるだろう
今、滅びゆく世界の中で 選んだ孤独
何からも縛られないと誓う
強かった憧れの分 ずっと憎んでは
でも一番深く愛していたの
わたしの偽物じみた わたしをやめよう
どうしても超えられないのだから
目映さに何度裏切られても 折れないでChiral
あの空の先がどこだろうと
ただ奪われるだけじゃない、まだこのままじゃ終われない
誰に疑われても信じるんだ
今、壊れゆく時代の中で 見つけた光
温もりは残らなくても…
先を急ぐ人達の背を どこか蔑む目で見ていた
行こう、何も怯えることはないの
これははじめての自由
ただ救われたいと願い、ただ赦されると信じた
誰が愚かだと責められるだろう
今、滅びゆく世界の中で 選んだ孤独
何からも縛られないと誓う
温もりは残らなくても…いい
鏡に映る姿は、正反対の姿。ぴったり合わさるように見えて、それが鏡の世界を飛び出してきたら――この世界にいる姿とは、全てが逆の、ひとつとして重なり合うことのない姿が現れる。理解できれば、当然のこと。世界を構成する原理です。
曲の導入は、何かを予感させる民族調のしらべ。強い風が吹き抜けるようにはじまる、疾走感のあるドラムサウンド、ストリングス、彩を加えるハープの音色…Kleissisらしさの踏襲はあるものの、これまでと違った色を感じるのは、エレキギターが登場しないことが大きいでしょう。Kleissis楽曲は、改めて歌詞を読み解くたびに驚くほど、最初から確固たる世界観がありました。それをロックサウンドに乗せることで、均衡を保っていた部分もあると思うのです。《囚われのChiral》は、壮大かつ美しい旋律といい、散りばめられた多様な楽器群といい、まさにKleissisらしい楽曲だと感じます。では、そこからロック要素が差し引かれたら?――Kleissis(そしてアルカ・ラスト)の世界に、どこまでも溺れる楽曲に仕上がりました。引き止める要素が、なくなったのですから。
自分の見方次第で「裏表」になる物事に、私たちは目を背けたがります。この歌詞から、たくさん見つけることができますね。自由:孤独、憧憬:嫉妬、侮蔑:恐怖、「汝を愛し、汝を憎む」。その「裏表」は、きっと人それぞれなのでしょう。皆さんは、《囚われのChiral》から、どのような「裏表」を感じ取りますか。私が歌詞を眺め、噛み砕き、最後に残ったのは、「裏切りの歌」。そして、その全てを受け入れた時に残る、「澄み切った信頼と希望の歌」でした。